子供を授かったことへの感想は、第一に「戸惑い」だった。「責任」, 「義務」,「自由」,「大人」,「子供」...まさに様々な種類の言葉が浮か んで来た。自分達がこれまで生きてきた路を、いやがおうにも見返しもし た。そして、私の頭に浮かんだのは、居たかもしれない兄か姉のことだっ た-母が話してくれた流産のことだ。2人で、何月頃まで働くかを話し、 毎晩未だほんの少しせり出したばかりの御腹に手を当てて、語りかけるよ うにすることにした。
「喜び」が現れたのは、その習慣が定着してからだった。「希望」も感じ た。妻が仕事を辞め、御腹の中で子供が微かに動きだす頃、懸命に生きよ うとする「命」を、今までとは違った角度から見始めた。子供の微妙な動 きの度に喜びながら、2人とも新しい事を学んでいた。
妊娠4ヶ月あたりから、出産法について話し始めた。米国で看護学を学ん だ妻は、私に出産の感動を味あわせたいと「ラマーズ法」を主張した。正 直言って、私はどちらでも良かった。妻が安心して出産出来る体制ならば OKだ。それまで通っていた病院は夫の立ち合いを許可していなかったの で、他の病院を探さなくてはならない。それにしても、その不許可の理由 がふるっている、以前立ち合いをした夫が出産中に倒れてしまったためだ という。おかしく思う半面、大丈夫かなと自分に問う。