青森市から竜飛岬に向かって1/3程度(青森市寄り)の所にある村がある。妻の実家があり年に一度程度そこを訪ねる。目の前が湾に面し、後ろは少しの田畑を経て山々。陽は山側に沈むので日の暮れは早い。養殖だけど採れたてのホタテに醤油をかけてただ焼いて喰らうと生きていることを感謝したくなる。自分の故郷よりも好きになってきている村である。
その田畑の真ん中を整備された道が伸びている。まだ竜飛岬まで全てが整っている訳ではないが、今までの海岸沿いの道に比べたら雲泥の差の運転し易い道ができつつある。行く度に整備されている部分が延びる。青森空港から実家までは年々楽になっている。
その道を想い出して考えた。田畑を貫く新しい道なので、当然ながら脇には余り店がまだない。店は従来の海岸沿いのクネクネした道沿いにある。これまた当然ながらクネクネした道は生活の基盤であり、それぞれの村や町に必要な様々な店が並ぶ。新道路が出来るまで、それらの店は、その地域にとってなくてはならない存在であり、多少の不便があっても利用者から不満という形にはならなかったであろう。先にある竜飛岬やねぶた祭りへの観光客もそれなり足を止めるに違いない。それが、店の品揃えもたたずまいも何も変化しないのに、新道路ができることで何かが変わっていく。
まずは観光客か。クネクネ道を行くドライバにとっては一息入れたくなる場所が、その村のあたりだった。それが綺麗な整備された道になると、その村の辺りでは一息いれなくなる。立ち寄らない。素通りする。もちろん立ち寄るにはその新道路からいったん降りてクネクネ道に入らなければ立ち寄ることもできない。だから多くのドライバは素通りしたことすら意識しないだろう。
そしてご近所さん。遠くまで行くのが億劫だったが故に、近所で済ませていた用件もあるだろう。それが出向く苦労が減ったなら、より派手やかな品揃えの豊富な町に足が向くのは避けられない。偶然かもしれないが、近所の店が混んでいるのを見たことがない。
店自体は何も変わらない。変わらずにその地域の必要性を満たしている。ある意味で絶対的な価値に変化はない。しかし道が整うにつれ、相対的に価値が下がってくる。比較されるのは町中の大きな店である。今までは「競合」ですらなかった異次元の相手であろう。そうこうしているうちに不動だったはずのその店の絶対的価値さえ下がって行く気がする。しかも、その店にとって、その道は「敵」ではなく、自分達の生活を豊かにするものでもある。物の仕入れから情報の入手まで恩恵を受ける場面は多々あるだろう。
生活に根ざすモノの店はまだ良い。観光客等を相手にしている店は、その「素通りしたことすら気がつかない」客にアピールしなければならない。いきおい新道路に広告を立てる。
どこかで見た風景である。ネットが生まれてから、猫も杓子もホームページを作らなければ存在自体がなくなると必死になっていた頃のこのWeb業界である。
どちらが深刻な問題なのかはよく分からない。そこそこの歴史と実績のある企業であるなら急激な津波に呑まれることはないだろう。しかし個人商店は一夏で空家同然になる。そうした店の企業努力は凄まじい。青森の話ではないが、オフィスの周りにも車の移動パン屋さん等が増えてきている。どう見てもそれまでパン焼きオーブンの前にしかいた事がないだろうオジさんが一生懸命味をアピールしている。今までの自分のポストなんて関係ない。生き残るための可能性があるなら何でもしなくてはならない。客扱いの下手なオジさん販売員に出会うと、勝手に色々と物語を想像して、勝手に胸が痛くなる。
同時に自分はそれほど必死かと自問する。IT不況は厳然たる事実だけれど、もしかしたら、自分達の知らないうちに少し離れた場所に大きな道が出来ていたりしないだろうか。今までやってきたことに自負を持って頑固に既存の仕事のやり方にしがみついてはいないだろうか。今何か手を打たないと存在自体が消え去るような状況になってはいないだろうか。
IT業界にいる訳だから、単純に道沿いに広告を立てれば良いと言う訳には行かない。販売員のように街頭に出て行ってもしょうがない。IT屋として踏ん張るしかない。パン屋さんだって、そのパンが売れる味があるから街頭に出る意味がある。私(達)が売っているのは技術である。
いつまでも今までのスタイルを通せばよいという状況のほうが珍しいのだろう。立ち止まっていて存続できる方が異常なのだ。この業界に迫りくる新道路は、回線の太さであるかもしれないし、新しいデバイスかもしれない。新しいユーザかもしれない。指をくわえて脇道にたたずんでいては駄目だ。いつの世も必死で先に進んで行った者が輝いてきたのだと思う。厳しい時代こそITやWebが意味ある働きをするものを作り出したい。それでこそ技術だろう。
少し話がずれるが、(北国の)農業は厳しい。春から育てた稲が、夏のほぼ決まった一週間の日照時間と気温が狂うだけで収穫が壊滅的な打撃を受ける。その話を聞いた時、サイトを作りこんだ後、先方の一言でひっくり返るのが史上最大の悲劇のように錯覚していた自分が恥ずかしくなった。実をつけぬ穂が晩夏の風にそよいでいるのを、深いシワを刻んだ義父が哀しそうに見つめている。こういった年季を私はこの業界で刻むことができるのだろうか。泣き言を言っていられないと思わされる。
以上。/mitsui