Webは、「体験」を提供する場になっている、そうだ。
しかし、開発現場では、色々なムズムズがある。例えば、ある場面で、Flash を使うべきだと感じたとする。それを関係各所と協議する。そもそもFlashって何?、という所から話す時もある。散々話して、試作も見せて、これ以上何をすれば良いか迷うほど頑張っても、まだOKが出ない時がある。比較表を出せ、と言われる。HTMLやJavaアプレット等ととの比較表。
皆んな、目の前でFlashの動きを見ている、なのに反応がない。表組みにされた文字情報を見て、納得するようだ。サイズはどうだ、開発環境はどうだ。元々の生い立ちが違う技術群を、どう見ても主観を排除できない項目で断じている表が必要になる。作れと言われれば作るが、作りながら昔小学生の頃見た図鑑を思い出す。チーターやイルカや蛇などが左側に並んでいて、右にそれぞれの体長や体重、移動速度等が延々と記されている。それぞれの動物の特性を一望できるのは良いのだが、実際にチーターとイルカが競争するシーンなどは頭に描かなかった。
大きなプロジェクトになればなるほど、当然慎重になる。しかし、そのサイトで何をしたいかが明確であれば、その効果が一番高いものを最優先に考えるべきであろう。ユーザ体験を最優先に提供したいのであれば、それが最大の課題であり、そのために周りをチューニングすればよい。エンドユーザにどう感じて欲しいかという問題は、とりも直さず開発者がどう感じるかという問題でもある。
場面によって、HTMLだけで表現するのが最良の場合もあるし、Flashの場合もあるだろう。Realの時もQuickTimeの時もある。全く画像を使わずに文言で惹き付ける事だって選択肢の一つだ。どれに自分達がビビッと来るか、そうした感動を、開発者が語りたがらないのは、謎を超えて、時に不愉快だ。
目の前で示された試作にどう感じたかを表現しない部隊と仕事をする時、もう帰りたくなる。「ねぇ、この動き、凄いと思わない?」、思わず聞きたくなる。技術的関門が多々あることは、いつものことである。慎重になる姿勢も理解はできる。でもこれだけ、「体験」と騒がれていて、開発の現場でその体験度が示されないのは変ではないか?
ユーザの体験を中心に据えた場合、感動が示された後に続く言葉は、「良いと思うよ、でも出来るの?」ではない。「良いと思う、次に何をすれば良いの?」だ。先ず感動ありき、そして壁の見極めと、その壁の攻略法。それがまっとうなWeb開発スタイルだと思う。
料理マンガをチラチラと見ていて思う、「まったりとしていて、云々」。私の頭と味覚系語彙力では、どんな味なのかさっぱり分からない。でも食べさせてもらえるなら、分かるだろう。結構いけてると思ったインターフェースを目の前に広げても、ウンともスンとも答えがない。それどころかウンチクやレシピの「紙」を見せてくれと言う。目の前の料理に感動もせずに、説明書を見て感動できる体質は、不思議だ。
エンジニアとはそういった慎重な生き物なんだという説明もあるかもしれない。しかし、少し前Windowシステムの走りの頃、Motifとかが出たとき、あの頃もエンジニアが狂喜することもなくコードを書いていただろうか。もっと感動してシステムを練り上げていったはずだし、事実私の周りはそうだった。テキストしか表示されない世界に、様々なインタラクションが追加できる。その世界が面白くて、「おぉ」とか「はぁ」とか感嘆符を上げながらマシンに向かっていたのは、私だけではなかった。
Webの強みは、作っている側の人間が、見ている側の人間になれるという点だ。ワークステーションで色々と作りこめても、それを使うのはかなり限られた世界の人間だった。しかし、Webで通常扱う情報は、極めて日常に近い。ビジネス的に成功事例を求められるのも、B2Bも大事だが、B2Cへの期待は大きい。開発者がそのままコンシューマになる分野である。
提案の試作を見せて、その画面でクライアントを感動させられなかったら、それは失敗に近いのだと思う。あるいは、クライアントが無目的なのか。「今見せた情報の塊が、あなたのエンドユーザに届くのです、それを素晴らしいと思いませんか」、という問いかけが、Web屋からの提案だ。それに対して無表情でいられたら、提案した側の気力は萎える。逆に喜んでくれたなら、ここに私達の理解者がいるんだと嬉しくなる。もっと喜ばしてあげたくなる。
いつからエンジニアやクライアントが、自分の感動を信じられなくなったのだろう。あるいはそれを外に出すことを恥じるようになったのだろう。自分達のサイトを見てくれたユーザに何を期待しているのか。訳知り顔で冷静で冷ややかな視線ではないはずだ。提案者が「これ凄いでしょ!」と言い、見た側が「凄い凄い!」と返してくれる、そんな阿吽の呼吸がゴールだと思う。そしてその「凄さ」の中に、落ち着いた凄さもあれば、キャピキャピの凄さもある。だから、「これ凄いでしょ!」というニュアンスも、「どうだ!」と胸を張るものもあれば、無言で突きつけるようなものもあって良い。
動き易い開発チームにいた時、毎日がまるでクラブ活動のノリだった。日々新しい「凄いサイト」を見つけては、「これ見て」と誰かがやる。「おぉ、凄ぇ」と誰かが応える。誰かは「似たの見た事あるよ、どこだっけ」とコメントし、Bookmarkを探す。同時進行で誰かがソースを解析して、「こうやってるんだ」と言い、その周りに人だかりが出来る。
小さな子供が、自分の感動したことを伝えたくて、パタパタしている様子。そんなシンプルな動機が、Web開発者には必要だと思う。自分が感動した、だからあなたにも感動して欲しい、更に自分ももっと感動したい。そんな自己増殖型スパイラル。それはデザイナだけでなく、エンジニアだけでなく、クライアントだけでなく、開発しているサイトに関わる全ての人に伝播して欲しい。
仕事と感動、通常は対極に位置される。でも、Web開発現場は、仕事と感動との距離が近い職場だ。伝統工芸的モノ創りの現場のように、創っていて楽しく、それが売れて尚嬉しく、喜んでもらえて更に幸せ、を目指せる場所。
自分達の本業技能を引き出せる環境が、そうした道に導いてくれる。ここまで進んだIT技術が雑用は引き受けてくれ。全てのブロックを自作して積み上げなければ、高みに行けないのでは嫌だ。機械的に処理できて情報としてまとめて欲しい。私には、ファイルのカウント作業ではなく、そのファイル群をどうしたいのかの判断作業をさせてくれ。そんな環境が欲しい。アイデアの実装に時間をかけさせて欲しい。ミスは不可避だから、自分のも含めて存在するミスを瞬時に感知できる環境も必要だ。
Ridualは、そのための小さな一歩。
以上。/mitsui