約20年ぶりにある映画を見た。「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」。最初に見たのは、アニメ好きな友人に半ば強引に誘われてのことだった。当時、私達は好きな漫画家を核としたグループに分かれて、意味もなく真剣な勢力争いを繰り返していた。私は手塚治虫派に属していたが、高橋留美子派の友人が、とにかく興味がなくとも見るべきだ、と言い張った。
不思議でショッキングな映画だった。マンガの原作がついてはいるが、事実上そこに意味はないといっても良い。当時爆発的な人気漫画の映画化でありながら、明らかに原作の枠を外れて、監督の「想い」が感じ取れた。おなじみのキャラクター達ではない、「時間」や「夢」といった概念が主人公だった。
自分の中の映画のアンテナが、「ゴジラ」から「洋画」に切り替わろうとするタイミングだった。この時期にこの映画に出会っていなかったら、私はアニメという分野を切り捨てていたかもしれない。アニメーションの持つ可能性をまざまざと見せ付けられたことを覚えている。
「ハイジ」にも「ヤマト」にも「ルパン三世」にも多くを学んだが、セル画に書かれた連続的な「絵」が伝えてくるものに、哲学的な匂いを感じたのは初めてだった。何かを問いかけて来る映像、そんな作り手としてその監督の名を覚えた。押井守、私が初めてフルネームで憶えた日本の監督かもしれない。
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20年ぶりに見ようと思った理由は二つ。たまたまDVDに目が行ったから、そして「イノセンス」を見たから。「イノセンス」は、3DCGと2Dアニメーションの極限的融合に挑戦した大作で、スタジオジブリがプロデュースし、カンヌ映画祭コンペ作品にもノミネートされた作品だ。筋は入り組み、引用も多く難解だが、少なくともオープニングは見ておかないと次世代アニメは語れないだろう。
押井作品にはインパクトの大きいものが多い。「機動警察パトレイバー the Movie」にも「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」にも見終わって暫くは心を奪われた。原作そのものの世界観がしっかりしているものが選ばれているが、更に押井監督の仕事観が、層を厚くするように上塗りされている。
原作者としては複雑な心境にもなるだろうが、主人公達の行動が「イイトコ取り」されなくて、後始末的な部分までも描かれる場合が多い。正義のために戦っても、何かしらの社会のルールを破れば主人公が自ら謝罪に行ったりする。正しいことを行なっていても何をしても良いわけではない、正義を通すのも大変なんだ、という視点を忘れることがない。
Webサイトのデザインをする際に、様々な障壁に出会うけれど、ユーザ中心の考え方を通したいあまりに、チーム内上下関係にヒビを入れたりしたことがある。そんな時、何となくそんなシーンを思い出す。理想論が青臭く見えてきて、ドロドロの仕事を全部背負ってこそ仕事やっていることになるんだよ、と語りかけてくる。耳には痛いが、忠告をためらわない大切な親友みたいな映像だ。
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「イノセンス」と「うる星やつら2」の共通点は時間の表現の仕方。「あれ?、この場面さっき見たよ」という疑問符を抱かせながら、本当のストーリーの時間軸はどこだっけ、と観る者を惑わす。「当たり前」と思っていたことに、再考の道を、スッと渡し架けてくる。
「イノセンス」を観ながら、どこかで出会った手法だなぁと感じていた。そして、たまたま見つけたDVDで記憶が引き戻された。そして、改めて20年振りの映画を観て、この監督はずっとこういったことを頭の中で増殖させてきたんだ、と感動した。ワンパターンという批判も聞こえるが、コダワリの美学を感じる。
「石の上にも三年」どころではない。一つのことにしがみついて離れない。それは理解されない時期もあったろうし、評価されない時期もあったろう。他人の目は気にしないで、より良い表現の極みまで目指す。でも今、それらが結晶のように美しく独自の色を放っている。ジブリ程の知名度ではないけれど、別の観点で、今や「押井ワールド」はブランドと呼んで過言ではない。
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そんなことを考えながら、Ridualを想う。実はVer.2(R2)の試作が着々と進んでいる。次はサーバ型になる予定だ。解析系を先行させている。解析したいサイトのURLを入力すれば、解析が終了した時点でmailで知らせてくれる。更に他の人が解析した結果もWebブラウザで情報共有可能だ。まだまだ技術検証段階なので何も確約できないけれど、面白い方向に「深化」の予定だ。
競合分析には重宝するだろうし、納品検査時でも省力化に貢献するだろう。プロジェクトを蓄積していけるので、ポートフォリオDBになるし、ノウハウDBとして人材教育系にも影響を与えると読んでいる。
解析する内容は今よりも増え、視覚化する基盤技術もSVG以外のモノも考えている。何よりも大きな変更は、解析結果情報をDBに格納するということだ。様々な情報を組合わせて、様々な情報視覚化の表現方法が可能になる。
但し、サーバ化するということは、導入時の技術的難易度をあげることになる。今でもJ2SE(Java)を事前に入れて置く必要があり、それは一般のデザイナは戸惑う部分であるのを知っている。今度は、DBまで用意する必要がある。軽少短薄の流れには明らかに逆行している。
全ては、Ridualが最初に芽生えた時のアイデアから発する。「Webサイトを俯瞰(フカン)できるようにしたい」。そのことだけを言い続けて4年以上が経つ。こちらも年数だけは「石の上」を越えた。
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そして先日、漸くダウンロード数が1,000を越えた。日本には、Ridual的にWebサイトを見つめる人は1,000人しか居ないと想定していた。なので、数の上ではポテンシャル層には行き届いたことになる。しかし、事業計画書上の目標をクリアできない。7,500円ですら財布から引き出すのは難しいものなのだと実感している。
流れが来ていないとは思っていない。日々のダウンロード数はこの1年変わらないどころか微増状態だし、メジャーな更新を1年もしていないRidualサイトのアクセス数も波はあるが「閑古鳥」状態ではない。大手のWeb屋さんから興味も向けられているし、産学連携での開発も進行中だ。
Webが物珍しさの段階を超えて、量産体制の時代に入る事は予想できる事だった。その量産の基盤として、HTMLエディタでは心もとないのも自明の事だ。作る場面だけ効率化しても駄目で、検査系の効率も上がらないと、両足で立つ業界にはならないからだ。そしてその量産の中でも品質を高めていける基盤も育てなければならない。だからRidualのようなツールが必要だと、このプロジェクトが開始された。
現状のRidualのとっつき難さも、現仕様が2年も前のもので古すぎるのも、開発陣は承知している。だから「R2」で更に今のニーズに合うものを提供できるように頑張っている。
でも、Ridualが予算系の壁を越えるには、Ver.1の目標を達成する必要がある。NRIはボランティアではないので、継続投資には裏付けが必要だ。私の目を見てください、ではハンコは押されない。
Web開発の流れの本質が変わっていないと見ている私にとっては、4年前の当初のコンセプトを繰り返すことに何の抵抗もない。けれど、新鮮味のない論や数字の裏付けがない話に説得力を感じない層は多い。「石の上まで」をどこまで貫徹できるのか、そろそろ岐路に差し掛かっている。
R2の技術検証作業が進む中、多忙を理由に遠ざけていた足を使った営業活動をそろそろ再開しようと思っている。既存のHTMLエディタとは異なるコンセプトにも、未来を賭け得ると思われる方の投資を募りたい。
R2で実装して欲しい機能もヒアリングさせて頂きたい。Ridual開発陣の目がどこまで実態を見据えているのか。一歩一歩確かめつつ、次の段階を目指したい。
以上。/mitsui