大切な友人が訪ねて来た。会うのは多くても一年に一度。メールもそう頻繁にやりとりしない。でも、互いに大切だと思っているは通じ合っている。
到着の30分も前から、心も少しそわそわする。何かテーマを設けて議論したい訳でもない。ただ、同じ空間にいて、思い出話や普通の会話を交わすことが楽しい。出会った頃の20年も前のことをつい昨日のことのように会う度に話す。
出すお茶にも気を遣う。食事も選ぶ。そんな大ご馳走は用意できないが、通常の予算より少し贅沢に食材を選ぶ。惜しみなく、とまでは行かないが、ケチろうなんて思いもしない。グラスもお皿も、持っている中で一番良いものを選ぶ。楽しんでもらいたい、楽しみたい、それを形にする。
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何かを大切にしていることを「示す」ことは難しい。単にお金をかければ良いというものではない。でも、全くお金をかけないで示すことも、やはり難しい。「お金のかけよう」は、十分条件にはならなくても、ある程度は必要条件と言えるだろう(もちろん、持てる範囲で)。
例えば、「人材」が大切だと公言している会社の真剣度は、人材育成や福利厚生に割く予算の額が示してくれる。人材が大切だと言う上司の本音は、どれ程部下と時間(コスト)を共有しているかに現れる。注ぎ込める上限はあるにせよ、常識的な下限も存在する。部下との対話が月平均三分です、では人材最重要説を唱える資格があるかは疑わしい。
さて、Webである。伝え聞く話の殆どで、構築予算が削られている。しかし、機能は削られていない。より高度に、より複雑に絡み合っているシステム構築への対価が下落している。Webサイトをより有効に活用しようという動きが一方でありながら、下がっている。
こんな話を聞いた。この業界の著名人にコンサルティングの依頼が来る。氏は本を何冊も出しているし、大型イベントでも壇上に立つランクである。何を求められているかが多少不明確なままではあるが、「五万円」を提示した。有料質問権五回分くらいだろうか。
氏を知っている人なら、五回の質問に対して、コードサンプル付きの詳細な答えが返ってくることは容易に想像できる。つまり、破格の価格である。しかし先方は、サイト全体構築費に匹敵するので辞退する、と答えてきたそうだ。
ちなみに、東京都の最低賃金(2004.10改定)で換算して見よう。最低賃金は、710円であり、産業別最低賃金の中で一番近そうな「出版業」は、785円。後者で計算すると、64時間弱。一日8時間としたら、8日弱。約1.5週の時間拘束。
改めて強調することもない事だが、これは高度に専門知識を蓄積した人への対価ではない。あくまで「最低賃金」であり、「最低賃金額に満たない場合は、最低賃金法違反として処罰されることがあ」ると定められているものである。
参考) http://www.roudoukyoku.go.jp/wnew/t-toukyo.htm
推測されるその会社のWebサイト構築費は、せいぜい10万というところか。今やパソコン一台分である。検索して見ると、立看板一枚の制作費程度ということも分かる。詳細情報もリニューアルの頻度も不明なので、一概に責め立てることはできないが、こうした会社が一体それだけの予算で、誰に何の情報を発信し、どんな関係性を結ぼうとしているのだかを疑問視してしまう。
しかも、この会社が突飛な例なのではない。「6,000円で精密なFlashアニメーション」とか、「ページ単価500円で、メンテが楽で先進的な1,000ページサイトを」とか、耳も目も疑うような案件に最近よく出会う。
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少し前、某世界最大規模のスポ-ツシュ-ズ販売会社が、その生産の大部分を、低賃金で劣悪な労働条件の国で行っていたことが話題になった。最もクリーンな夢を売っていると言えるイメージ戦略の裏側で、犠牲になっている労働者の姿がクローズアップされた。
企業が利潤を追求するのを第一とする限り、生産コストを下げることは大きな目標であり続けるだろう。しかし、世界トップクラスに登って尚、社会的労働条件ルールを無視して、その生産ラインを劣悪なまま使い続けることには、多くの人が眉をひそめた。ブランドの危機とも言える状況だった。
劣悪な環境下の労働者の血と涙が染み込んだスポーツシューズに魅力などあろうはずが無い。けれど今、Web開発現場で行われていることは、これに近づいている。如何に開発費を抑えるかが、その担当者の手腕と評されているかのようだ。Webへの熱意ではない、ユーザへの想いでもない、ただ「コスト」。
片や、Webサイトの価値は相対的に上がっていると言える。既存メディアの価値が下がっていることは、テレビCMの扱われ方や、ラジオ広告費がネット広告費に抜かされたことから明らかだ。更に直接資産価値を算定する動きもあり、その数字の大きさに目を見張る。
参考)
- 企業の広告・宣伝手法は、マスメディアから個別対応のITメディアへ
http://www.nri.co.jp/news/2005/050531.html - ネット広告費がラジオを上回る――電通
http://www.itmedia.co.jp/survey/articles/0502/18/news063.html - 国内Webサイトの価値総額は7兆7000億円相当
http://www.itmedia.co.jp/survey/articles/0409/21/news032.html
なのに、開発者の価値は上がっていない。生活が楽になっているように見えないし、将来の不安をむしろ感じる。
参考)
- Web Designing 2004年10月号:Webデザイナー白書 2004
- web creators 2005年 2月号:WEBデザイン経済白書2005
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企業のIR情報の中で、研究開発費の項目は比較的大きく取り上げられている。それは、「今」ではなく、「将来」を左右するデータだからである。研究開発という投資を怠る企業は中長期的には生き残れないと考えられる。
エンドユーザとの対話に関しても、同じことが言えるのかもしれない。どれだけ、エンドユーザとコミュニケーションを取っているか。これは企業の中長期的存続に大きく関わっている。ユーザの支持を得ないモノは、廃れていく。
では、その対話を現実的に担っているのは、何だろう。双方向という点を考えれば、「ネット」しかない。そしてそれは、Webサイトだけではないだろうが、現時点ではWebサイトが占める割合はかなり大きいだろう。
近い将来、投資家向情報として、「ユーザ対話費」などという項目が明示される日が来るかもしれない。その時、そこに余りに小さな金額を書く大企業は、どんな想いがするのだろう。投資家もどんな目でその数字を見るのだろう。
「お客様が第一です」と言いつつ、その窓口構築にはお金をかけない。それがどれ程、恥ずかしいことなのか。クリーンなイメージのWebサイトの構築のために、当人の技術不足ではなく不当な時間拘束のために睡眠不足で倒れかけているWeb屋がいる現実をどう考えているのか。
大切な友人の訪問を、不当に安い駄菓子で迎えることは、私にはできない。玄関もそこそこには掃除する。取り繕う訳ではない、迎えるにあたっての、心尽くしのマナーだ。企業にとって、ユーザは「大切な友人」以下ではあり得ないだろう。コストという数字だけが一人歩きして、大切な何かを置き忘れてる。
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今や大企業の中では、サービス残業問題が大きくなりつつある。ただ長時間働かせるだけでは、モティベーションも低下するし、労働基準局からも睨まれる。そして最終的に企業ブランドに響くからである。
そうした事柄から予測すると、対価に比して過大な時間拘束を強いる業務や、金曜深夜に月曜早朝納品を求める大量の要求などが、発注している会社のブランドに関わる問題になるのも、時間の問題だろう。現に中小企業に対する発注方式に関しては見直しが始まっている。
参考)下請法 http://www.jftc.go.jp/sitauke/
ユーザを大切に想うのなら、それなりの対応方法がある。そして、その対応方法の構築にも、それなりの方法がある。アウトソースして、それを搾取するようなやり方は、破廉恥な方法と思うべき時代に入ってきている。破廉恥な仕事では、ユーザに対しても失礼で、信頼を裏切ることになる。
企業が、マスメディアを通さずに直接ユーザと対話することは、歴史が浅い。まだ不測の事柄にも多く直面する。でも、大切に想う友人への「もてなし」から学ぶことは多いはずだ。
そして、本当は、発注する側にも、受注する側にも、まだまだ工夫が必要な産業なのだと思う。単に発注費を上げれば良い訳ではない。ボられたお菓子で迎えるのも難がある。常識的な範囲で賢明な「もてなし」が喜ばれる。Webという、コミュニケーション技術は、もっともっと大切に育てていくべき分野だ。
友人が引っ越し祝いにワインを贈ってくれた。何十万もする訳ではないが、私の通常買うモノの十倍する。ありがたい。小心者の私は未だに栓を抜けられないでいる。でも、そんな金額ではなく、大切に思っていてくれる事が伝わってきて嬉しい。いつか、彼と、我が家でグラスを交わしたい。
以上。/mitsui