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[105] HERO

小さい頃には様々なヒーローがいた。先日電車の中で外を見ていて、そんなこ とを思い出した。反対側のホームで、幼稚園生くらいの子が、ウルトラマンの ポーズをとる。横で、お腹の大きなお母さんも一緒になって、シュワッチ。

声が聞こえた訳ではないけれど、頭の中にはその声が響いてきた。多分間違い なく絶対にウルトラマンだ。ポーズをとる子供は真剣な顔をしている。悪を倒 すとその顔に書いてある。勇ましい。そして、横のお母さんは幸せそうだ。

私の世代(1960年代前半生れ位)は、「ヒーロー」に事欠かない時代に育った。 沢山のヒーロー達に、ブラウン管の前で手に汗握る経験をさせてもらった。い まだに、正義の味方だけでなく、怪獣達の名前まで出てくることには、自分自 身で驚く。

「悪」を打ち倒す「正義」。簡単な図式に山ほど感動し、そして更に幸福なこ とに、それだけではない世界を子供のときにリアルタイムに体験させてもらっ た。ウルトラセブンの金城哲夫と、ガッチャマンの吉田竜夫。この名を知った のは、ずっと後のことだけど、受けた影響ははかりしれない。

彼らの作品には、ただ憎めばいいとは言い切れない「悪」が登場する。それな りの理由があったり、その本人(?)にもどうしようもない理由で、「悪」に なってしまったモノ達。ただ倒せば、ただ殺せば、万事がハッピーとは行かな い戦いが繰り広げられた。勝った方にも敗れた方にも、割り切れなさが残った。

正義が悪を倒す爽快さとは別の部分を、倒し切った時の空しさを子供心に教え てくれた。本当にアイツを殺して良かったのか、殺すしかなかったのか。あの 時代、殺すことの意味さえ分からない子供が大勢、テレビ番組終了後に悶々と していたはずだ。

そんな想いは色んな形で未だ息づいている。プロジェクトが壁に行き当たると、 怒りに任せて、「相手」を敵とみなして戦うけれど、相手が本当に「悪」なの かを時々考える。自分が「正義」なのかと時々立ち止まる。

言葉も分からぬ異星人が、地上に降り立ったところで、いきなり集中砲火を浴 びせてはいないだろうか。相手の言葉を聴こうとしたか、自分の言葉を伝えよ うと努力したか。いつもいつもはこんなことはできないが、時々立ち止まる。

自分の信じることをいくら説明しても理解してもらえないなんてことは日常茶 飯事なんだけど、異星の言葉を喋っているのはどっちなんだろうかと悩みもす る。異星の地に降り立ったのは、私の方なのか。私の方が、彼らの平安な生活 を脅かしている側かもしれない。

虚勢をはるバケモノが、実は小心者でビクビクしていたなんて話もある。武器 を置き、握手を求めて伸ばした手が全てを解決するような単純な話は現実には 起こらないけれど、近い状況がない訳でもない。喧嘩腰でないと開かれない扉 もあるけれど、息を荒立てては入れない場所もある。そして、息を荒立ててい るバケモノは私かもしれない。

自分の側が正義ではないかもしれない。そんな自己を疑うという意識。私は正 しいのかという不安。そんな想いは、自分自身への問いかけだけでなく、企業 などにも及ぶ。つまり、「数」に任せての戦略に対する不信感も育ててくれた。

自分だからといって正しい訳ではないように、大きな企業だから正しいとも言 えはしない。意見の所有者が誰であるかに関わらず、意見そのものを吟味する 必要がある。大手企業に対して斜めに構えてしまうのは、そんなところに芽が あるのかもしれない。マイノリティ(少数派)とマジョリティ(多数派)。そ う、マジョリティが常に正しい訳ではない。

そんな想いを抱くのは、金城哲夫の描くウルトラシリーズに、「本土と沖縄」 という軸が存在することを知ったことからも影響を受けている。沖縄は日本の マイノリティであり、今でさえ米軍との関係で辛い状況が解消されない。先日 の朝日新聞で書かれた文書では、こうあった(脚本家上原正三の言葉)。

「彼にとって怪獣は、理解されないマイノリティーだったのではないか」 「金城のウルトラマンは、怪獣を殺さず、懲らしめた。『人間の世界に 出てきちゃだめだ。帰れ』と追い返した」

迷い出た怪獣と共存することは難しい。場違いな者は倒されるか、去ることし か解決はないのかもしれない。共存は夢なのかもしれない。でも、その夢が、 なすべきことや、あるべき姿であることもある。誰が怪獣であるのか、誰がマ ジョリティであるのか。職場ですら色々と考える。

小さい頃から、ヒーローの座を占める者には共通点がある。それは、「答え」 をくれる者ではなく、「問い」をくれる者。別にそれほど思索型の人間ではな く、猪突進型の行動パターンが多いのだが、「それで良いのか?」という問い の視点そのものに興味がある。同じシーンを見ているのに、私とは別のものに 見とれている人に魅力を感じる。そして、そんな見方をしたくなる。憧れる。

そして、もう一つ共通点。大抵は「答え」のない事柄を問いかける人達であり、 問い続ける人達、ということ。正論で言えば一言で片付くけれど、現実解はそ う簡単にはならないことを、延々と連綿と問い続けている姿に、輝きを感じる。

だから、Web黎明期に輝いていた人たちが、今またテレビなどに出てきたりす ると、嬉しくなる。様々な困難や障壁を越えて、昔と同じ輝きで、その人なり のテーマを問い続けていると、尚さらだ。おぉ、まだそのことにこだわってる のか。次はそれかぁ。そこをそう深く掘るのか。そんな感じで尊敬し直す。

そうした意味で、Web自体が今の私のヒーローなのだとも言える。答えはない し、問いかけばかり。しかも道は延々と続いている。人と人とのコミュニケー ションが基盤なのだから。情報と人との接点なのだから。情報と技術の融合な のだから。この熱もしばらく冷めそうにない。

以上。/mitsui

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