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[111] 嘘 -たわごと-

ここ数か月の間に、何度も違和感を抱きながら、同じような内容のセミナーに 参加している。キーワードは「ユーザーエクスペリエンス」。違和感を与えて くれる相手は、名だたる開発ツールベンダー(メーカー)達。

何度聞いていも、イライラしてくる。何か勘違いしている。コブシを握り締め、 奥歯をかみしめ、もう何年もすることのなくなった貧乏ゆすりを再開する。我 慢の限界の状態。

でも、そのイライラの根本の部分が上手く説明できなくて、そんな不甲斐ない 自分にイライラが更に増幅されていた。でも、それが何なのか、ようやく説明 できる気がしてきた。

「ユーザー」の定義が曖昧なのだ。開発ツールベンダーが、自社製品を使うと こんなに凄いことができるんですよと強調するたびに、そこが引っかかってい た。「あなたの"ユーザー"って誰?」。

■「ユーザーエクスペリエンス」実感

「ユーザーエクスペリエンス」の定義は極めて曖昧だ。評論家を除くと、誰も 積極的に決めようとしない。広い概念のままマーケティング活動に利用しよう とする姿が匂ってくる。けれど、時々実感を伴う説明にも出会う。

ThinkPadの開発に関係した話を聞いたとき、「ユーザーエクスペリエンス」と いう概念はしっくりと耳に届いてくる。様々な仕掛けが、箱やマニュアルなど、 いたる所に忍び込ませてある。全てに自分がフィットする訳ではないけれど、 努力していることは伝わってくる。

購入者が箱を開けマシンを取り出す瞬間、IBMロゴというブランドを意識させ るパッケージング。サポートが必要となった時にでも、電話口からの指示を受 け止めやすいような色分けされたマニュアル。

コーヒーを実際にこぼすような実験までする検証主義。ファンクションキーの 配置も四個単位でグルーピングされていて、指に直感的な配置。絶賛とか完璧 とは思わない。でもどこか嬉しい。

そういった視点で、ソフトウェアパッケージを眺めてみる。店頭での窃盗防止 と見栄えのために肥大化した上げ底状態の大きな箱。記念に保存しようにも、 ウサギ小屋には場所がない。ゴミ分別の波の中、邪魔さだけが増加する。

箱の中には、様々な部署が勝手に作ったことがヒシヒシと伝わってくる様々な 大きさの紙類。保証書、クーポン、マニュアル。購入者がどう保存するかなど 微塵も考えていない。渡せば責任を全うしたと思っている。

肝心のCD-ROM(あるいはDVD)は、取り出すときのドキドキ感など計算されて いない。この袋を開けたら利用ライセンスを承認したとみなします云々。これ でもかと言うほど、興ざめを体験した後、やっとインストールができる。

インストールが済んだら、ネットにつなげてアップデータを入れますかと聞い てくる。半年経っていない間に、山ほどのアップデータが出ていて、流行の複 数ソフトウェア統合型スィート製品では、本体と同じだけの時間が取られる。

そして、サポート。電話もつながらず、つながった電話口からは、真っ当な答 が返ってこない。症状を説明しているのに、「おかしいなぁ、そんな風にはな りませんよ(キッパリ)」と言われたことすらある。聞けよ、まず。そもそも、 トモダチじゃあないんだし。

我慢に我慢を重ねて、解決策に辿り着いたとしても、「それはバグです」とか、 「それは弊社社員○○のBlogに対応策があります。URLお教えしましょうか」。 もはや、会社としての公式コメントを出すというプライドも捨てている。

そう。開発ツールを使い続けている者の一人として、断言しておこう。私は快 適な開発ツール「体験」をしたことは殆どない(勘違いしないで欲しいが、私 はその「購入した機能」には何度も感動している)。しかし、その「非体験」 状態を開発ツールベンダーはどうも理解していないようだ。

■開発ベンダーの勘違い

ここ数年、CPUの高性能化などの後押しもあって、様々な目を引くビジュアル 表現が可能になってきた。少し前までは、リッチコンテンツとRIA(リッチイ ンターネットアプリケーション)を区別していたベンダーでさえ、派手であれ ば良いというニュアンスで話をしだしている。

そして、それは自分達が提供しているツールの性能だと言わんばかりの論調が 目を引くようになってきた。その「機能」こそが快適な「ユーザーエクスペリ エンス」を生むのだと。

そして、ベンダー達は更に続ける。「ドラッグ&ペーストで簡単に作れます」。 彼らは自分達が、誰に何を伝えているのか分かっていない。そう、熟練開発者 は不要だと、専門家に言っているのだ(エンドユーザは会場にいない)。

ツールの開発者が、ダイレクトにエンドユーザに何かを届けていると錯覚して いる。実際に届けているのは、そのツールを使っている(ツール利用者の代表 としての)「Web屋」なのだ。そして、エンドユーザを惹きつけるアイデアを 出しているのも、Web屋だ。ツールでは断じてない。

この製品ベンダーの勘違いは、大きなシステムインテグレータが、小さな外注 先を鞭で打つようにして働かしてアイデアを搾り取り、それをさも自分達のも のであるかのようにクライアント企業に誇っている姿を思い出させる。醜悪。

金槌メーカーが、この「家」は我々が作りました、と誇ったらどうなるだろう。 汗水流した大工はどう思うだろう。その金槌メーカーは、世界中のその金槌ユ ーザ(大工)を敵に回して、世界中の全クライアントの案件を一手に引き受け る気でいるのだろうか。

開発ツールベンダーが、見るべき方向を見誤って進んでいくのは危険だ。家が 建たなくなる。使っている人が笑顔で仕事をしていれば、その道具は広まる。 それでいいじゃないか。その笑顔こそが、本当にその道具の品質を証明するも のであり、派手だけど無意味なデモが評価を決める訳ではない。

Webという産業が、ようやく成熟期に入ろうとしている今、お願いだから、自 分の本当のフィールドに立ち返って欲しい。「たわごと」を言っている間に、 Webそのものまでが、「虚業」などと言われかねない。エンドユーザはそんな 専門ツールを使いはしない。開発ベンダーの「ユーザー」は、我々Web屋だ。

金槌メーカー冥利というのは、その良さに惚れ込んでくれる大工さんが笑顔で それを使ってくれる瞬間のはずだろう。その笑顔の数を競って欲しい。もう自 惚れ自慢合戦は、反感を買うだけだ。

  • ベンダー=製品ベンダー=開発ツールベンダー:例)Adobe
  • ソフトウエアパッケージ=開発ツール:例)Web開発ソフト

以上。/mitsui