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[136] 講演、パネルディスカッション、その準備

ただただ熱苦しいプレゼンをするしか能がないのだが、身に余る場に呼ばれて話してくれと言われることがたまにある。ここ数年、話す内容に余り変化がなく、それなりに資料は溜まっているので、準備は楽といえば楽。けれど、使っている絵にしても、挿入する情報にしても、微調整はかけている。でも、伝えたいことに余り変化はない。現場の話。ただそれだけ。高邁な話をする訳でも、高尚な理論を披露する訳でもない。当たり前の開発者同士が、どんな風に疲弊して、どんなことを考えれば、何かを変えられるはず。そんな話をしている。

登壇している実時間分の練習はまずできない。申し訳ないが、3時間のコマを与えられても、練習に費やす時間は20分が限度か。目の前に人がいないと集中力がそれ以上持続しない。資料作成には相変わらず時間をかけるようにしているが、時々は過去分の「編集」だけで済ませられるようにもなってきた。蓄積も力なり。

資料作成の最初は、「外枠」作り。呼んでくれたカンファレンスやセミナーの名前やロゴを使って、パッと見でどこでやったプレゼンかが分かるようにする。この「形」作りがないと、没頭できない。まず形から入るのは、必ず右足から風呂に入るのに似ている。なんだかそこが決まらないと落ち着かない。

だから、カンファレンス名がしっかりしてなかったり(恒例だったりして、どこまでがメインでどこまでがサブか不明のものは結構多い)、セッションIDが残念なもの(例「パ01」とか無味無臭すぎなもの)だと、途端にテンションが堕ちる。で、1時間程うだうだして、気を取り直して作り出して、朝を迎えるのが通例。そして、更に行きの電車の中で1ページ位は足してしまう。

足してしまうのは、時間の読みが甘いからだが、参加者の情報が全くないか、沢山あるときに、色々と盛り込む傾向がある。情報があると色々とサービス精神がモゾモゾし、足りないと仮想敵国(敵ではないが)への攻略法をここかしこへと備えてしまう。

だから来てくれる層の情報をくれるところとはやりやすい。会場の様子を事前に色々と教えてくれるのも嬉しい。広いところではどこまで歩き回れるのか、狭いところでは白板が使えるのか、プロジェクタはどこまで大きいか、拡大して見せるためにはどうすれば充分か。同じテーマで話すことが多いので、話したいことにブレがない分、環境や客層に気が向く。そうした配慮というか準備が不足しているイベント屋さんと組むと結構不機嫌な顔をしているようだ。

ツールは、IllustratorでPDFを作成し、それをInDesignで組み上げる。PDFは単体で使い回せるし、Illustratorがない人にも配布できる。再構成する際にもリンクを変えるだけなので、比較的楽である。でも、PowerPointで同じようなものを作るのに比べ三倍ほどの時間をかけていると思う。その理由は、プレゼン中に拡大できるから。その一点に尽きる。ベクトルで作っている限り目一杯拡大してもぼけない。気持ちがいい。Flashに惹かれたのもここからだった。ビットマップ系の拡大するほどピンボケ化する画像に感動を感じない。

PowerPoint2010がトランジションなどをApple Keynote風にできるようだけれど、実のところそんな表層系よりも、如何に内容を的確に伝えられるか、という役立つ機能をもっと充実させて欲しい。拡大縮小もそうだし、目次作成機能もそうだし、現場で使えるスライドマスタをデフォルト(標準状態)にするのもそうだろう。

物事を分かり易く伝えるには、俯瞰図を見せてそこから絞り込むという方法が気に入っている。通常倍率で一旦見せて、ドリルダウンして説明を加える。随所にキーとなる話題を隠し持っておき、客層やテーマによって文脈を切り替えられる点も、詳細に描き込んだものを一枚用意して拡大縮小を繰り返す方法の長所だろう。

拡大縮小を繰り返す以上、最大化してPDFを使うことができない。AdobeはPDFを紙の代わりと思っているようだけれど、そもそもの「紙」の概念が変わってきているように思う。そしてそうした用途の変遷を考えると、今のユーザーインターフェース(UI)はかなりミスマッチであり、操作性に欠ける。そもそもアイコンにセンスが感じられない。

まぁそんな口を開けば文句ばかりなのだが、使い続けている。代替品がないのがその理由でもあるけれど、馬鹿な子ほど可愛いという面も否定できない。そんなツールを時によっては使い分け、講演の場に呼ばれたら、基本的にお断りすることなく日程調整する。そして毎回何かを学ばされる。

先日は、PowerPoint、PDF、Keynoteという三種のツール競演でのパネルディスカッション。実は、綿密な打ち合わせなしで演るのが一番難しいのが、パネル。誰かの独演会になっても駄目だし、三者三様でもイマイチ、筋書きありきも興を削ぐ。共通のテーマに登壇者全てが絡んでこそ、聴いている側にとっては面白い。実は東京でやったものの京都での「再演」という形ではあったが、出演者にとってはかなりのリターンマッチ感。東京場所が失敗とは言えないが、もう少し打つ手があった。そんな反省を各自が随所でしていて、しかも何が飛び出すかの事前打合せはかなり軽めで臨む。

別に相手を打ち負かすような内容のものではないのに、キチンと聴衆に届けたいという静かな闘志がひしひしと伝わってくる緊張感のある舞台(長テーブルだけだったが)。理論、現時点、少し未来。三人がそれぞれの軸足を定かにして、聴衆に語りかける。なんと三人が三人とも、お隣が話している間に、自作プレゼンにその場で何かを足して、話を進めた。

有線LANが1本しか与えられなかったが、私がAirMacを持って行っていたので、ネット上の情報も自由に差し込みながらのライブトーク。誰かが引用しているものを、誰かが検索して入手している。久々に楽しい時間でした。

最後の質問の時間でも、誰も手を挙げてくれないので刺激してみた。「スタッフから『東京では質問がないのは当たり前だが、関西では質問がない=つまらなかった、ということです』と言われてます、何かお願いします」。会場からクスクスと笑いが漏れ、一人が手を挙げてくれた。

でも発せられた言葉は質問ではなく、コメント。他のセッションではなく、ここを選んでよかったという賛辞。彼女が受け取った内容を要約し、今後の展望まで含まれていた。報われた感が込みあげてくる。やってよかった。いつもはアンケートという紙の形で批評に触れる。知人がいても遠慮して真実なんて語ってくれない。フェアな感想が紙ではなく、耳で聴けるなんてレアで幸せな体験なんだろう。

こういったライブ感がプレゼンへの意欲を刺激するのだろう。「スーパーエンジニアへの道」で、ワインバーグは「学びたければ教える立場に就け」と言っている。まさに語る側が多くを得た感が残る。精進精進。

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