不況である。Webの価値もデフレしている。コンペの度に痛感する。自分のプレゼンが受け入れられないのは、能力不足と反省と悔しさをかみ締めるが、ボツの理由を聞くたびに、何か違和感を感じる。
Webサイトの提案が、ただ金額だけでコンペ負けする。しかも、話を聞く限り、接戦ではない。壱円入札に近いという状況すらある。更に言うと、今まで、価格帯や諸々の条件で、競合とはならない相手がそういった行為に出ている。
なりふり構わず、まさにそういった形相だ。だからこそ、不況の状況は日々深刻になっている。業界としては部分的に温度差はさるものの、押しなべて見ると、厳しい状況が暫く続くだろう。そして、今なりふり構わずの行動をとっている業者は、間違いなく、このWeb業界で働く者たちにとって悪だとレッテルを貼られるだろうと予想する。
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価格競争が発生するのは仕方がないことだ。技術が均衡した時点で、そういった局面での争いは避けられない。しかし、限度がある。1ページ辺り、数百円で作りますといって請け負う人たちは、今の自分達のことしか考えず、更に業界を破壊しているという意識が欠如しすぎである。
自由競争の名のもとに、何でも許されるというのは、愚行だ。誰も大人びた態度しか取らないので、敢えて言おう、「愚行だ!」。それ以外に言葉がない、サステナブル(持続可能)という言葉が、緩やかに流行っているが、正にその言葉を考えるべきである。
例えば1ページを1,000円で請け負ったとしよう。かろうじて、東京都の最低賃金よりも高い水準である。しかし、それで1日10ページ作ったとする(10時間勤務)、本人は1万円を得る顔知れない。会社が請け負ったとしたら、数割は割り引くだろうから、1日数千円の世界である。
それで、家族を養うのである。子供は大きくなり、教育費はそれなりの増加する。それを担う大黒柱として、Web屋に属する人が1日10時間をモニターの前で過ごすのである。それでなんとか額面約20万/月という計算だ。かなり厳しい。
しかも、単純なコーダーとしての作業だけで、この業界が成立しないことは周知の事実である。知らない人は、全くの無知(異業界の人)か、耳を意図的に閉ざしている人しかいないはずだ。1日数千円の仕事が毎月ずっと継続して存在する状況がそもそもあり得る訳もなく(枯渇する時期はある)、更にそうした定常的な作業をマネージできるPM(プロジェクトマネージャ)がそうそういる訳もない。先にWebサイトのコンセプトがあり、全体俯瞰する戦略があり、そしてページが作られる。Webサイト制作は、既にかなり縁の下の力持ち的な人材が入り組みながら進む体制になっている。
我侭を言う人がいれば、我侭を聞く人が居る。そうした需給関係が成立するからこそ、「業界」として成立する。その成立条件は、互いの立場への配慮であるというのが、私の持論だ。それなくしては、成立し得ないし、それがあるから、今回は苦労してもらっても、次回は穴埋めをするという男気的な付き合いが成立するのだ。
そうした大人の付き合いをできる人が、人同士が、配慮しながら、実は寄り添いながら、業界を成長させてきたのである。それは、Webに限ったことではなく、建築業界でも他の商習慣のところでも同じであると予想する。そして性善説の立ちたいので、これに異論を挟まない、こうあって欲しいと願いつつ、こうした大人たちの存在を信じている。
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いい仕事の裏には、いい関係がある。間違いなくある。WebやRIAの黎明期にも、それを証明する武勇伝がごろごろしていた。開発の遅れを、自分の首をかけて上層部にもらさず、ハラハラしながら公開当日を迎えた部長さんは山ほど居る。今考えれば、リスクヘッジが皆無だとも言える。でも、だからこそ頑張れたスタッフは居る。信じてもらえたから、防波堤になってくれたからこそ、死に物狂いで間に合わせるように頑張れた人は沢山いる。
技術革新の波の中で、そんな人情話が散在していたのも、Webの魅力の一つである。今、綺麗な言語体系の技術が登場しても、それにすぐに飛びつけない層が居るのは、そうした生々しくも熱い記憶があるからだろうと予想している。
でも、一線を越えた取引きの前には、そんな甘い関係などありようがない。ただただ安さをベースに結びついた状況では、淡々とプロジェクトは進められ、無理もきかず、想いを込めるチャンスすらないのだろう。発注者がWebの傾向を知っていることは稀なので、通常はその辺りの教育も情報共有という名のもので行われるが、そんな教育的側面すら次々と省略されて行くのだろう。
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今ですら、目を疑うような使いづらいWebサイトが存在する。情報階層を降りていきながら、眉をしかめる。「ん?、こっちか」、迷路の中に必死にルールを探しながら進む。見た目の派手さと、ドロップシャドウの中をさまよいながら進む感覚が、そのサイトのオーナーである企業ブランドにとってマイナスのものしか感じない結果を予感させる。
安く作られるサイトの全部がこうなるとは言わない。開発プロセス改善とツールで、低価格を実現しているところも存在するだろう。それでも、景気や、継続的な発注や、IT投資予算の伸びを考えると、首を傾げざるを得ない受発注関係は存在する。無理に無理を重ねている、今さえ乗り切ればよいという考えが臭ってくるプロジェクトは多い。
▼2010年のIT投資額はマイナス成長に - ITmedia エンタープライズ
http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1006/28/news048.html
しかし、今だけで済むはずがない。日常品ですらそうである、100円ショップで買えると分かっているものに、わざわざ高額な支払いはしない。一度下がってしまった価格は、そうそう簡単にはあげられない。少し考えれば、開発担当者が家庭を支えることができる訳がない金額であっても、同じである。温情で、経理は進まない。安いにこしたことはないのである。その先に開発者の生活があることなんて省みられない。
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今、安売り合戦になるのは、ある程度致し方ない。しかし、Webの技術は日進月歩で更に進んでいる。発注される情報システムであるWebサイトは、更に情報がこんがらがっていて、紐解くにはそれなりのIA(情報設計)スキルが必須である。そして、それが本当にできるのは、それなりの生活基盤がしっかりしているテクノロジスト的な人材でないと厳しいだろう。
▼テクノロジストの条件 (はじめて読むドラッカー (技術編))
http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4478300720
業界は、こうした人材を育てていかないと、先がない。その上で、新しい感性を持った人材が入り易い状況を作っていかないと、駄目である。それを怠り、刹那的な受注作戦を展開するのは、自殺行為にしか見えない。
ここ10年で、Webは様々な変化をしてきた。しかし、未だ未だ使い辛いサイトは多々存在する。特に悲しいかな公共のサイトは無残と言いたくなるほどの品質のものも多い。それは情報が絡み合っているが故に、ハイパーリンクという手法で整理しようとするWebの根本思想にとって、悲しむべき状況である。一部が使い辛いというのは、全体も使いづらいからである。どこかでハイパーリンクの紐解きマジックが途切れるのである。情報の袋小路のようなところが生まれ、先に進めない、理解できずにイラつく状況が生み出されているのだ。
Webサイトがなかった頃、私が現状のような気持ちで、企業情報を見ただろうか。私は偏ったサンプルかもしれないが、一般の人でもいい、創業年や企業情報、他にどんな製品があるのかと考え、探そうとしただろうか。Webが発達したからこそ、こうした生産者を知るとか、安心できる企業なのかを考える、文化基盤ができたのである。
そして、それは今後益々深めていくべき話だ。たゆみなく研ぎ澄ませて行くべき話である。そのためには、この業界の未来や、その担い手の未来を真剣に考えるべき時期に来ている。それに逆行する行為は、実は緩やかで、見た目には分からないような自殺行為なのではないだろうか。
以上。/mitsui
【日刊デジタルクリエイターズ】 [まぐまぐ!]