「新型出生前検査 導入から1年」。障害を持つ子だと分かってしまったなら。大きな決断だ。命の尊さをどんなに頭で分かっていても、その後に続く苦労を想像すると尻込みしてしまうというのが普通だろう。でも、健常児であっても苦労はするし、我が子の同級生に障害を持った子たちは何人かいたけれど幸せそうに見えるときも少なくはなかった。
堕ろすと決めた後も延々と引きずるだろうし、それを2週間程の期間で決めなくてはいけない。どれだけ時間があれば充分というものではないけれど、余りに短い。考える事自体が億劫になって、断ち切る側の選択をしてしまう人が多いのではないだろうか。
それにしても、魂をいれないモノを作るのが本当に得意な国だ。選択肢を与えて、情報は与えられず、あとは自己責任で、と。「何故教えてくれなかったんだ」という非難を、ただ回避しました、というだけに見えなくもない。命の意味を問う間もなく、家族との幸せを見つめる時間もなく、寄り添うことや支え合うことが決して重荷なだけではない生活だと予想することもできないまま、色んなことが進んでいってしまう。
それから、社会制度とか社会環境がもっと議論を…とか言うのを、学者はそろそろ止めた方が良いんじゃないだろうか。学者ですら決められない問題を他の人が決められる訳がないんだ位の気概で提言をして欲しい。それが議論の始まりなんだと思う。最初にたたき台を出してくれないと話せない。調べてます、公正な目で見てこんな問題が有ります、とかデータ並べる係じゃないんだろうな。ドイツでの先進事例も、そんな提言を誰かがやったから、法整備とともに相談所もできたんだよね、きっと。