「極点社会~新たな人口減少クライシス~」。少子化問題/高齢化社会問題をどう捉えるか。しかたがないでは済まされない、あるいは今なら打てる手があるんじゃないかという検証。国谷さんの言うように、高齢化社会というのは、単純に老人が増えていくものだと思っていた。老人さえ減っているのか。それが局所的に減ることで、就労場所にアンバランスが生まれ、職場需要の高低差によって人口流出入が起こる。破綻する未来は、等差級数的に迫り来るのではなく、拍車のかかった等比級数的に襲い来るのかもしれない。国の予測より、専門家の予測の方が正しい匂いがする。
しかし、解決策というか対策としてと訊かれて出てきた言葉は「危機感を持って若者たちの声に真摯に耳を傾けろ(意訳)」。そろそろこういう逃げは止めた方が良いのではないだろうか。渦に巻き込まれている者に、どう助かりたいですかと聞いているようなものだ。もうデータ整理をしている段階ではないのだろうなと、イライラしながら画面を見つめてしまう。解決仮説をもっともっと出して、シミュレーション論争すれば良い。
「あなたは地方に住みたいと思いますか?」その問いは誰でも考えられるのではないのか。「東京にあって、わが町にないものは?」「東京になくて、わが町にあるものは?」…多くの当たり前の問いに答えが隠されている。ほぼ二人を育てた私自身から見ても、今子供を産もうとするお母さんは、勇敢に見える。明るい材料がないんだから。だからこそ支援しなければと思うのだが。
官僚を含めた「上層部」の給料を半減させたら、若者が数人働き暮らせるという現実もあるだろう。持てる者がどうそれを手放すかという議論でもある。パイの大きさは永遠に同じでそれを効率よく奪うゲームだと思い込んでいたのに、過度にアンバランスな所得差と読み違いが根底からパイ縮小化へと向かわせている。
「象牙の塔にこもって数字をいじりまわしていればリスクを回避できるように思うかもしれないが、残念ながらそのやり方では行動も回避されてしまう(エクセレント・カンパニー)」という言葉を思い出した。