「介護からの“卒業式”」。80歳を越えて、どこかから卒業するってどんな気分だろう。画面に映ったオバさんは、どこか不安げな表情にも見えた。同じコミュニティに属していたい感は、年齢とともに増すだろうし、様々な心的な葛藤を伴う分岐点なのだろう。でもブラックホールのように一度入ったら二度と出てこれませんという世界より余程良い。番組は持続可能な介護制度にスポットライトを当てざるをえないけれど、実はそんな制度の品質の問題ではなく、「生」の品質の問題。どう老いて行けば良いのか。命の終い方をどう考えるか。
気になったのは、「行政ができないこと」。これって何だろう。どこに線があるのだろう。量的な問題だとしたら、予算と配分の問題。質的なことだとしたら、甘えかもしれない。行政はこーいうことをしないと誰かが線を引いているのかもしれない。番組中に出ていた体操の先生を、天下った方がやっていれば、天下りへの批判も減るかもしれない。ボランティア任せの話を見ていると、どうしても面倒なことは全てハケンや外注に丸投げして、彼らがいないと動きにならない組織を思い出す。「行政」の定義が問題なのかもしれない。
更に考えると、介護保険料の比較が全国平均と比べられていたけれど、「国が考える介護社会」が最低ランク位に考えて、全ての自治体は考えて動かないといけないのだろう、とも。もちろん全国平均なので、高い所も低い所も出てくる訳だけれど、国の賢い(と思っておられる)方々を驚かすくらいを狙わないと、ヤバイ状況になっていると思った方が良いんだろうな、と。
2025年。オリンピックの5年先。遠いようでいて、あっという間にやって来そう。